「Snow Queen 7」
BIT室から出てきた豊の表情は暗い。
これは決定事項だと呉に言い渡されて、それからほとんど口をきこうとしなかった。
各々立ち去っていく仲間たちから外れて、一人とぼとぼと歩く足元に影が差す。
顔を上げると、目の前には無表情の薙が立ちはだかっていた。
「秋津」
豊はフイと視線を背ける。
「今度の任務、余計な感傷は不要だ」
何が、と聞かなくても、彼が何を言いたいのか明確だった。
月詠学園退魔班、通称ペンタファングに下された今回の指令は、天照十三連座の一つ、親不知海岸で鎮めを行う天照学園執行部の妨害と内情調査。
その先鋒として、豊は薙と行動することになっていた。
気乗りしない任務内容と、一番距離のあるパートナーをあてがわれて、まともに任務がこなせるとも思えない。
薙は、討魔活動のプロだ。
だから余計に任務の失敗を嫌うのだろう。個人の軽率な行為によって、チームワークが乱れる事を警戒している。
刺すような視線に耐えかねて、豊は小さく息を吐いた。
ちらりと彼を見て、微かに頷いてみせる。
「わかってる、俺は今ペンタファングに所属しているんだし」
「・・・それならいいが」
短く言い捨てて立ち去る後姿をじっと見詰めながら、物悲しい気持ちが豊の内側を満たしていた。
天照十三連座の一つ、親不知海岸一帯は九条家が御封地の一つとして預かっている場所だという。
部外者立ち入り禁止の海は、眩い白浜と青い波が打ち寄せる美しい場所だった。
潮騒の音を聞きながら、偵察の名目で拠点の古寺から一人離れて歩く。
海風に乗って香る潮騒の匂いが体中に心地よかった。
任務だというのに、伊織などは水着を持って来ればよかったとしきりに悔しがっていた。
「これは遊びでは無いんだぞ!」
凛に怒られて、自慢の毒舌で応戦する彼女はそれでもどこか楽しげに思えた。
崇志も、薙も、任務に何の気負いもない。
ただ豊だけが、慣れ親しんだ古巣の彼らと戦うことになるかもしれない状況を恐れている。
月詠学園の指針は今だによく分からない。こんなものは交歓留学というのだろうか。
少なくとも、こちら側からの好意は微塵も無いように思う。
(天照に行った人はよくしてもらっているのかな)
確か御神とかいったか、あそこには総代も紫上もいるのだから、何も心配は要らないだろう。
そう思って、豊は余計に寂しくなっていた。
「こっち来てから俺、なんだかついてないな」
こん、と蹴った石を目で追いかけていると、急に声がした。
「あれ、あんたその格好・・・」
顔を上げると見慣れた月詠学園の制服が見える。
着ているのは見慣れない赤毛の男だった。
怪訝そうに顔をしかめる豊を見て、男はははあと呟きながらわざとらしくぽんと手を叩く。
「わかった!あんた秋津豊やろ?」
「どうして俺の名前を」
「そんなんきまっとるやん、こないな場所に来るような酔狂な郷の人間なんぞ、執行部のモンしかおらへん」
我実を得たりといった風体で喋る彼を見ているうちに、豊も唐突に気付いていた。
「もしかして、御神・・・」
晃は、少し吊り目がちな瞳を丸く大きく見開いた。
「なんや、ワレ、ワイのこと覚えとったん?」
「え」
「ほれ、前に一度だけ会うたやろ、上野の美術館で」
言われて、そういえばそんなこともあったのだったなとおぼろげに思い出す。
月詠に来てからこちら、色々な事がありすぎて、細かなことはほとんど忘れかけていた。
「なんや、ホンマ噂に聞いとった通りのエエ奴っちゃなあ、ゆんゆん!」
「ゆ・・・」
あだ名の呼び方で確信した。
彼は間違いなく、月詠学園から天照に行った交歓留学生の御神晃だ。
大方郷の案内などは伽月がしたに違いない。その時付け加えて自分の説明もされたのだろう。
「こないな場所でゆんゆんに会えるやなんて、めっちゃ嬉しいなあ!」
気安い言動に豊は和みかけて、月詠の任務を思い出してわずかに表情を引き締めた。
彼は、いまや天照館執行部の人間だ。
そうは思いたくないが、敵対勢力の人間と出会ってしまったことは致命的なミスといえる。
取り繕ったような笑顔を浮かべながら、この場を逃れる方法に思いをめぐらせる。
(まさか、執行部がこんな近くにいるとは思わなかった)
今頃は封所の調査を伊織や崇志が行っているはずだろう。
その最中に見つかってしまえば、月詠の意図が露見してしまう。
豊が黙り込んでいると、晃は人懐っこい表情で顔を覗き込んできた。
「何、どうしたん?なんや顔色悪いんとちゃう?」
「そ、そんなこと」
「そや、なあ、あんたなんでこないな場所におんねんな?」
肩が小さくビクリと揺れた。
「え・・・」
「御封地の鎮めは総代はんが言わはったことや、天照のモンしか知らんはずやのに、なんでワイと入れ替えで学院行かはったはずのアンタが」
そこまでいって、晃はアッと声を上げた。
改めて豊をまじまじと見詰め、先ほどまでとは打って変わった低い声で問いかけてくる。
「・・・ミッションかいな?」
豊はフイと視線を背けた。
「やっぱりそうなんやな?学院は何を考えてんねん、ペンタのほかの奴らは?」
「ここには、いない」
沈黙が苦しくてつい口を滑らせてしまった。
出来れば天照館の人間とは争いたくない。それがたとえ、交歓留学で一時的に籍を置いてあるだけの相手であっても。
晃はしばらく豊を見詰めていたが、不意に深く息を吐き出して顎をしゃくった。
「なあ、ちょっとでええから、案内してくれへんか?」
そしてすぐ、こちらのためらう素振りに気付いて「ああ、ちゃうちゃう!」と声を上げる。
「なにもチクろうっちゅうわけやないで、ただ、ワイは元元ペンタの人間やから、ワイの手できっちりケジメ着けたい」
「でも」
「ワイかて仲間内でやり合うんは嫌なんや」
豊は晃の目をじっと見た。
混ざり気のないいい瞳だ。ペンタファングのほかのメンバーより、大分親しみやすい雰囲気がする。
「わかった」
まだ不安を残しながら、それでも豊は頷いていた。
自分だって仲間内で争いたくなどない。
彼が説得してまとめてくれるなら、そうして欲しいと切実に思っていた。
「じゃあ、案内するよ」
「すまんな、あんたも立場っちゅうもんがあるやろに」
困り顔の晃に、豊は首を振っていた。
「いいんだ、俺だって執行部のみんなと戦いたくなんかない」
「さよか」
晃はさっきよりもずっと親しげな表情で、豊をまじまじと見詰めていた。
「あんたホンマにエエ人やな、天照おったら間違いなく親友同士になっとったで」
これには思わず笑ってしまった。
「じゃあ、ついてきて」
「あんじょうよろしゅう」
歩き出す二人を、茂みの向こうで窺う視線があった。
(続)